2010年9月30日木曜日

こぶさたです!

最近、忙しくサボっていました(^^;;

12月のコンサート、毎週のゴスペルライブTV、と祝福の毎日(^O^)/
子どもがなんでそんなにお仕事があるのと?
神様の祝福だよと、お父さん♪(´ε` )
今度、韓国に教会からチームが遣わされるのですが、
制作部としても参加します!



〜モーセ光〜

2010年9月27日月曜日

全てに感謝


今年一年の感謝が語られました。
11月に東京に来て、もうすぐ一年。。

たくさんの恵みがありました。

1つひとつ感謝の祈りを捧げたいと思います。

きっと、さらに主の愛を感じることでしょう。




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2010年9月22日水曜日

ふゆゴスペル

12月10・25日のゴスペルコンサートのプロデュースを
することになりました(^-^)
主がどんなことを導いて下さるか楽しみです


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2010年9月16日木曜日

教会へ


今から毎日礼拝
行ってきまーす!
なんとかバスに間に合いました!



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2010年9月15日水曜日

我が家と我は主に仕えん 11

福岡に帰った出西家。
これから、蒔かれた一粒の麦が、
豊かな実を結ぶための備えにはいることになる。
伯母は、教会につながり続けるが、
伯父と父は、教会から離れてしまう。
伯父は、会社での充実した日々。
父は、大のお酒好きで親不孝な日々。
また、父は結婚に失敗しシングルファザーとなった。
祖母が子どもの育児をすることになる。
この時も、祖母は祈りを積み上げていたことと思う。
しかし、主の時がくるまではしばしの忍耐を試される。

農夫が収穫の日を待つように。

ヤコブの手紙 5章7節

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。



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2010年9月14日火曜日

我が家と我は主に仕えん 10

福岡にもどった祖父母たちは、
ペンテコステ系の教会につながる。
祖母は、いつも異言で祈る人だった。
伯父は、アメリカの宣教師について伝道に携わる日々の後、サラリーマンへ。父も高校卒業後、サラリーマン。伯母は、結婚。
それぞれの人生を歩むことになる。
現在、私の父は熊本で牧師をしている。45才のときに献身をしたそうだ。私は、五才。
今では、ほとんどが、牧師か、奉仕者だが、それまでに、祖母の、そして母の多くのとりなしが積まれてきたようだ。



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2010年9月9日木曜日

我が家と我は主に仕えん 9

戦時下の厳しい環境の中で、殆んど消えかかっていた燈心が、
妹の召天によって再び燃え始めた。


彼は、いたんだ葦をおることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。

マタイ  12-20

 我が家での家庭集会が始り、2年後、福岡市に戻った私たちは、
ペンテコステ系の教会につながり、「我が家とわれは主に仕えん」の歩みが始った。

 いたいけな妹の急死は、我が家を悲しみの深渕に突き落としたが、
失いかけていた信仰を回復させる 一粒の麦となった。

 それは幾十数年と言う星霜を至て多くの実を付けていく。
  

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」          ヨハネ  12-24  

ヨハネ出西勝信

私の子どもたちは、祖父母から数えて四代目のクリスチャンになる。
主の憐れみと恵みによって守られ続けた。
賛美・しるし・ダビデがもう少し大きくなって
理解出来る様になった時、
教えてあげようと思う

この信仰が育まれ、継承されるために、尊い代価が支払われたことを。




きっと私たちの知らないところで、
いや必ず、名前も知らない誰かが
十字架を負って福音を届け、
信仰の息吹がその人にその家庭に
吹き込まれているのだと改めて思わされる。











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2010年9月8日水曜日

我が家と我は主に仕えん 8

一粒の麦 地に落ちて

 前夜式は、身内だけでひっそりと行われた。

 牧師も司式者も居ない・・・・・火が消えたような寂しさの中で。
誰もが無言だった。何か言おうとすると、先に涙があふれた。

 最愛の我が子を、なす術もなく、一夜にして失った両親の痛手は余りにも深かった。

 その時、誰かが歌い出した。母だった。
か細い小さな涙声は、やがて全員の合唱となった。


み国に住まいを備えたまえる
主イエスの恵みを 
ほめよたたえよ
やがて天にて 
よろこび楽しまん
君にま見えて 
勝ちうたをうたわん

 2度、3度 止どまることを知らない、終わりが無い歌のように・・・・・
皆が涙をポロポロこぼしながら。
やがてうつ向いて虚ろだった視線が天を仰いだ。

 「節子と又天国で逢えるよね。」
「そうよ、必ず天国で逢える!」

 天国での妹との再会は、一人一人の胸の奥深くで確信となった。
私が天国の存在を現実のものとして確信したのは、その時だった。

 いつしか皆んなの顔が、キラキラ輝いていた。
母の口元からも微笑がこぼれた。

 今、思い起こすと、これが賛美の臨在であり、聖霊による平安だったのだ。
 
 翌日妹は、田舎の古びた火葬場で、小さな白い壷に納まって母の手に返った。
筑後平野の耳納連山の向こうに没して行った夕日の美しさを 今も忘れない。
 あの紅い夕空の遥か彼方に妹が先に行った天国がある。




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高価で尊い存在


五歳の誕生日を迎えたしるしさん。
今行っている保育園は各クラス15人前後。
1人ひとり、その子の誕生日にお祝いをしてくれる。

朝、職員室に行ったら特別なリボンとバッチを付けてもらって一日を過ごす。

皆にハッピーバースデーを歌ってもらい、やりたい遊びをリクエストできる。

夜は家族でお祝い(^_^)

お父さんに祝福のお祈り
電話でじいじにも祝福のお祈りをしてもらった。



わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

イザヤ書43:4

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2010年9月7日火曜日

我が家と我は主に仕えん 7

ここからは、福岡県飯塚市で牧師をしている伯父のヨハネ出西勝信牧師の文章を使わせて頂きます。
        

 祈りの人と言うと格好いいが、言葉を変えると、祈らずには居られない人生を
歩いていたとも言える。
 母が祈っている姿を意識して見たのは、私が中学生になった年だった。

 私には8歳下の妹が居たが、5歳で天に召された。

 日本が戦争に敗け、食料事情が貧困な時代、私と弟で近所の川から採って来たしじみ貝が、
天ぷらとの食べ合わせで、自家中毒を起こして、あっという間に帰らぬ人となった。

 「美味しい、美味しい!」と言って喜んで食べた数時間後、突然高熱を出し、激しいけいれんを
起こし、意識不明に落ち入ってしまった。

 妹は末っ子で可愛いっ盛り、母の悲しみと嘆きは想像を絶した。

 あの時、私が貝を採ってこなかったら、こんなに早く一命を落とすことはなかったろうに・・・
少年の私の心も痛んだ。
 勿論母は、一言も恨みがましい言葉を口出さずに、努めて明るく装っていたが。

 妹が亡くなって3日目の夜半、声を忍んですすりなく人の気配に目を醒ました。
そっと目を開けると、部屋の片隅にうづくまるようにして、肩をふるわせて泣きながら
祈っている母の姿があった。
 翌晩も、次の夜も、家族が寝静まるのを待って、母はそっと寝床を抜け出して祈っていた。
両頬に伝う涙を拭おうともせず・・・「神様、どうしてですか?・・・」


 戦中、戦後の混乱の時代、美味しいものも食べず、可愛い洋服も着せてやれず・・・
母には、何もしてやれなかった我が子への不憫さと、悔いが残ったのだろうか・・・

 けいれんを起こし、意識が無くなった妹を囲んで、両親と姉と弟、私の5人は必死に祈った。
夜を徹して。
 《神様 子のこの命を助けてください。 この子が助かるのだったら、何でもしますから。》
母の祈りは、みんなの思いだった。翌日、午前11時、妹は一度も意識を回復しないまま
眠るように息を引き取った。






      

 5歳の妹は、眠るように、その短い生涯を終えて天に帰った。 愛する我が子を天に送って十余年、信仰と共に笑顔も甦った。
  


 私たちの家族の必死の祈りは,天に届かなかったのだろうか。
その時、母にも、大いなる神の摂理があった事を知る術もなかった。  







           
        つづく・・・

どうかわたしの涙を、あなたの皮袋にたくわえて下さい。
詩篇  56-8

  
なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、
その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは、涙の谷を過ぎるときも そこを泉のわくところとします。
                 詩篇  84-5・6



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2010年9月6日月曜日

我が家と我は主に仕えん 6

祖父が重度の難聴であったため、苦労も多かったそうです。
祖父母は、子宝に恵まれ二男二女与えられました。
そんな中、戦争が激しさを増す中福岡の田舎の方に疎開をします。非常に厳しい生活だったようです。信仰の火も消えそうになっていたと叔父がブログに記していました。
そんなある日、叔父と私の父が幼い妹の、節子にと美味しいものをと、
川で貝をとってきたそうです。

事件が起きました…

その幼い妹が貝で、食あたりになり、死んでしまったのです。

突然の出来事でした。




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2010年9月5日日曜日

今日のみことば





誕生日カードをもらいました☆
今日のカリスマ聖会のみことばでした!

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もうすぐ到着


今回の旅を感謝します☆彡



おめでとうございます( ´ ▽ ` )ノ
とても祝福された結婚式でした!

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2010年9月3日金曜日

今から弘前


十数回の虹がでました!!



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虹の祝福


今、盛岡にむかってます!
虹が出ました(^_^)




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2010年9月2日木曜日

我が家と我は主に仕えん 5

私の祖母、出西勝代さん。
高校3年生の頃天に帰って行きました。
祈りの人でした。兄の二人の娘名前は、愛祈(まなき)愛を持って祈る人になる様に。優祈(ゆうき)優れた祈り手となる様に。
兄の生みの母親とは、三歳くらいの時に別れ、祖母が育ててきたそうです。
そんな兄が見る祖母の姿は、いつも祈る姿だったそうです。
私も、よく異言で祈っていたことを覚えています。
自分の子どもの名前に祈の字をいれるくらいですから、とても印象に残ったのだと思います。
出西家の恵みの基となった人だと思います。







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2010年9月1日水曜日

我が家と我は主に仕えん 4

私の祖母、出西勝代さん。
鳥取の大山のふもとで育ちました。
私も幼い頃に一度だけいった事があります。
アメリカの宣教師を通して救われたそうです。
そして、博多にクリスチャンの男性がいるということで一枚の写真を見ただけで結婚を決めたそうです。
叔父がなぜ顔を見ずに結婚できたのかを聞いたそうです。
答えは、

「祈って平安があったから。主にゆだねて出てきた。」

信仰こそ旅路を導く杖 ♫

聖歌のメロディーが聞こえてきそうです。






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