2010年9月8日水曜日

我が家と我は主に仕えん 8

一粒の麦 地に落ちて

 前夜式は、身内だけでひっそりと行われた。

 牧師も司式者も居ない・・・・・火が消えたような寂しさの中で。
誰もが無言だった。何か言おうとすると、先に涙があふれた。

 最愛の我が子を、なす術もなく、一夜にして失った両親の痛手は余りにも深かった。

 その時、誰かが歌い出した。母だった。
か細い小さな涙声は、やがて全員の合唱となった。


み国に住まいを備えたまえる
主イエスの恵みを 
ほめよたたえよ
やがて天にて 
よろこび楽しまん
君にま見えて 
勝ちうたをうたわん

 2度、3度 止どまることを知らない、終わりが無い歌のように・・・・・
皆が涙をポロポロこぼしながら。
やがてうつ向いて虚ろだった視線が天を仰いだ。

 「節子と又天国で逢えるよね。」
「そうよ、必ず天国で逢える!」

 天国での妹との再会は、一人一人の胸の奥深くで確信となった。
私が天国の存在を現実のものとして確信したのは、その時だった。

 いつしか皆んなの顔が、キラキラ輝いていた。
母の口元からも微笑がこぼれた。

 今、思い起こすと、これが賛美の臨在であり、聖霊による平安だったのだ。
 
 翌日妹は、田舎の古びた火葬場で、小さな白い壷に納まって母の手に返った。
筑後平野の耳納連山の向こうに没して行った夕日の美しさを 今も忘れない。
 あの紅い夕空の遥か彼方に妹が先に行った天国がある。




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