妹の召天によって再び燃え始めた。
彼は、いたんだ葦をおることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。
マタイ 12-20
我が家での家庭集会が始り、2年後、福岡市に戻った私たちは、
ペンテコステ系の教会につながり、「我が家とわれは主に仕えん」の歩みが始った。
いたいけな妹の急死は、我が家を悲しみの深渕に突き落としたが、
失いかけていた信仰を回復させる 一粒の麦となった。
それは幾十数年と言う星霜を至て多くの実を付けていく。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」 ヨハネ 12-24
ヨハネ出西勝信
私の子どもたちは、祖父母から数えて四代目のクリスチャンになる。
主の憐れみと恵みによって守られ続けた。
賛美・しるし・ダビデがもう少し大きくなって
理解出来る様になった時、
教えてあげようと思う
この信仰が育まれ、継承されるために、尊い代価が支払われたことを。
きっと私たちの知らないところで、
いや必ず、名前も知らない誰かが
十字架を負って福音を届け、
信仰の息吹がその人にその家庭に
吹き込まれているのだと改めて思わされる。
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