祈りの人と言うと格好いいが、言葉を変えると、祈らずには居られない人生を
歩いていたとも言える。
母が祈っている姿を意識して見たのは、私が中学生になった年だった。
私には8歳下の妹が居たが、5歳で天に召された。
日本が戦争に敗け、食料事情が貧困な時代、私と弟で近所の川から採って来たしじみ貝が、
天ぷらとの食べ合わせで、自家中毒を起こして、あっという間に帰らぬ人となった。
「美味しい、美味しい!」と言って喜んで食べた数時間後、突然高熱を出し、激しいけいれんを
起こし、意識不明に落ち入ってしまった。
妹は末っ子で可愛いっ盛り、母の悲しみと嘆きは想像を絶した。
あの時、私が貝を採ってこなかったら、こんなに早く一命を落とすことはなかったろうに・・・
少年の私の心も痛んだ。
勿論母は、一言も恨みがましい言葉を口出さずに、努めて明るく装っていたが。
妹が亡くなって3日目の夜半、声を忍んですすりなく人の気配に目を醒ました。
そっと目を開けると、部屋の片隅にうづくまるようにして、肩をふるわせて泣きながら
祈っている母の姿があった。
翌晩も、次の夜も、家族が寝静まるのを待って、母はそっと寝床を抜け出して祈っていた。
両頬に伝う涙を拭おうともせず・・・「神様、どうしてですか?・・・」
戦中、戦後の混乱の時代、美味しいものも食べず、可愛い洋服も着せてやれず・・・
母には、何もしてやれなかった我が子への不憫さと、悔いが残ったのだろうか・・・
けいれんを起こし、意識が無くなった妹を囲んで、両親と姉と弟、私の5人は必死に祈った。
夜を徹して。
《神様 子のこの命を助けてください。 この子が助かるのだったら、何でもしますから。》
母の祈りは、みんなの思いだった。翌日、午前11時、妹は一度も意識を回復しないまま
眠るように息を引き取った。
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5歳の妹は、眠るように、その短い生涯を終えて天に帰った。 愛する我が子を天に送って十余年、信仰と共に笑顔も甦った。
私たちの家族の必死の祈りは,天に届かなかったのだろうか。
その時、母にも、大いなる神の摂理があった事を知る術もなかった。
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つづく・・・
どうかわたしの涙を、あなたの皮袋にたくわえて下さい。
詩篇 56-8
なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、
その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは、涙の谷を過ぎるときも そこを泉のわくところとします。
詩篇 84-5・6
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